久喜駅西口、サリアビルの変遷、そして今
(1) 2003年7月
久喜市の玄関口、久喜駅西口ビルは久喜市が施工して建てたもの。
忠実屋、その後、ダイエーが床のほとんどを所有していたが、とにかく客が少なかった。
いつつぶれるかは時間の問題だったのだが、2002年5月にとうとうダイエーが撤退して、その後、1階の片隅で、2つの銀行だけが営業を続けるのみ。
「このままじゃあまりにも殺風景だ。何とかしよう」という市民団体の発案で、「市民ギャラリー」と銘打って市内高校などの絵が貼り出されたりもしたが、あまり貼り替えられることもない。
昼間でもちょっと薄暗くて、コワイ感じもするし、通る人はほとんどいない。
「ギャラリー」の絵を見る人もいない。
人が通らないのをこれ幸いと、夏場など、高校生カップルが1組、仲良く寝ころがっていたりする。
7月12日、18日の夏祭りにはこのデッキの上は提灯山車を眺める特等席になる。
------------------------------------------------------------
(2) 2005年6月
サリアビルを封鎖した鉄板に貼り出された「ご案内」
今年(2005年)の5月じゃあない。
2002年(平成14年)、つまり、もう、3年前の5月、“遠い昔??”のお話である。
知らない人は、今年の5月の話と思うだろう。
(今年、2005年5月31日は火曜日)
------------------------------------------------------------
(3) 2008年2月
2007年7月に、スーパー「ハナマサ」が1階の一部だけを使って営業を始めたのだった。
しかしこれも、今年2月、わずか半年で撤退が決まった。
2階の通路はこうなっている。
by tomoni_k | 2008-02-08 19:11 | 「変」だ